先日,ある方の七回忌法要に出かけました。亡くなってからちょうど6年が経過したということです。私と故人とのお付き合いは,ゴルフ1回と酒席を数回というくらいで,1年半ほどしかありませんでした。しかし,とても存在感のある方で余韻の残る方でした。それは私だけではなく,同席の皆様から「大変世話になった。」「たくさん教えてもらった。」「おかげで今がある。」などの言葉が聞かれました。今年のキーワードに「無形相続財産」を挙げましたが,今回はそれを実感することが出来ました。多くの人の記憶と心の中に生き,感謝され続けています。形はありませんが,こういう相続財産をたくさん残されたことは素晴らしいと思います。

話しは変わりますが,法要が行われた寺院の住職はとても熱心な方で,法要毎に法名を表紙にしたカラー印刷の「法要次第」を作成して配布されます。A3二つ折りで4ページですが,実は何の説明もない裏ページが住職のセンスの一番の見せどころです。宗教にこだわらず,幅広い見識からコメントが掲載されています。以前にはV.Eフランクルの「それでも人生にイエスと言う」や「夜と霧」。今回はヨゼフ・ピーパー「余暇と祝祭」を引用し,実益を目的とした学芸と自由な学芸(リベラル・アーツ)について記されていました。今回も法要が始まる直前に住職が入口で一枚ずつ配付されましたが,まず先に裏ページから読んでしまうのは,キャラメルより先におまけを見てしまう子供のようですが。

<話しが飛びますが,5年前から一生懸命取り組んでいる「一般社団法人日本相続学会」の活動は,この自由な学芸に属すると考えています。だから実益を目的とした学芸と一線を画しています。>

話しが戻ります。このような住職ですので,読経の後の法話は長くて面白いです。今回は人間は肉体に生命を宿している。肉体を維持しなくてはならない。きれいごとだけを言ってられないが,食べることや貯めることに執着すると,人間はおかしくなる。人間はおかしくなってはいけないという教えもあるし,人間はおかしくなるのが当たり前という教えもある。いろんな話題を交えてお話しいただきました。

多くを残すは無形相続財産とし,生きている間のみ必要な有形財産は相続と同時に消えていく。そんなことが出来たらと思いますが,実は「終身借家権」という仕組みはよく似ていると思います。亡くなると自動的に借家権は消えてしまうのです。設定の仕方によって,ご夫婦の両方が亡くなった時点で借りていた家の権利は消えてしまうように出来ます。制度構築に日本相続学会の吉田副会長もご尽力されたと聞いておりますが,これから増えるのではないでしょうか。