ご存知のように,東海道は宮(熱田)から「七里の渡し」に乗って桑名まで行くわけですが,寛永年間,徳川家光のときに陸路を行くバイパスが整備されました。それが「佐屋街道」です。佐屋街道は六里(約24キロ)。岩塚・万場宿,神守宿,佐屋宿までと,そこからは三里の渡しで木曽川(+長良川・揖斐川)を下って桑名に着きます。
いずれにしても船に乗るわけですが,船と舟の差があるようです。七里の渡しは結構大きな帆船みたいな船で海を行き,三里の渡しは川を下るのです。そのため海が荒れた時や,船酔いする人などは佐屋街道を使ったとされています。またいろいろ調べると七里の渡しの船にはトイレが無く,それで女性に敬遠されていたらしいという話もありますが…。佐屋街道は,津島神社に近いところまで行くので,併せて参詣する人が多かったようです。津島神社を参らずに伊勢神宮だけを参ることを片参りと言うそうです。
山登りの先輩のSさんとそんな話をする機会があり,ひょんなことから熱田神宮から伊勢神宮まで東海道と伊勢街道を歩こうということになり,一度に歩くのは大変だから2回か3回に分けて歩くことに。
5月27日朝6時45分,熱田神宮の拝殿前に集合し,しっかりと安全祈願をして出発。金山あたりで左折し,佐屋街道に入って岩塚・万場宿を目指す。(そのまままっすぐ行けば美濃路である。)早速,尾頭橋の不朽園で最中とお茶をいただく。いつものクルマから見る流れる風景も,歩きながら眺めると味がある事に気が付く。最初は涼しげな空気だったが,徐々に暑くなる。幸い万場宿の近くで気の利いた茶屋があったので一服。山盛りの無料モーニングサービスが面白い。
次は神守(かもり)宿を目指す。神守宿は佐屋街道のなかでも最後に出来た宿で,大きな椋の木の一里塚があり,宿場町の風情が残る。田植えの時期のせいか,水郷地帯独特なのか分からないが,街道脇の水路畔に大小の亀が甲羅干しをしている。人の気配を感じ,次々に飛び込む音が面白い。かなりたくさん棲息している。お昼になったので,このあたりで昼食とする。山登りは食事を自分で用意しなくてはならないので手間がかかる。その点,街道歩きは気楽なものである。飲食店,喫茶店,コンビニがありがたい。特にコンビニには何度もお世話になった。
津島神社に向かうため,埋田の追分で佐屋街道から離れる。閑散とした津島駅周辺を過ぎ,津島神社に近くなると蔵のある旧家が並ぶ。昔の繁栄を感じる。そして蔵のある家の空き家は少ない。佐屋街道を佐屋海道と表記する道標が時々ある。また佐屋路という言い方もある。どれが正しいかは問題ではないが,佐屋海道という表現はなかなか面白い。そして津島神社に参る。織田家の家紋である「織田木瓜(おだもっこう)」が溢れている。神社が先か織田が先か分からないが,とにかくまた安全祈願をする。
この頃から膝と足底が痛くなってきた。何とか佐屋まで歩けば,三里の渡し(電車)に乗って今日の宿泊地,桑名に着ける。振り返れば津島神社から佐屋までの田園地帯の道が結構辛かった。変化の少ない風景は気がまぎれないということだろうか。それでも時折ある現代の茶屋というか,コンビニには癒される。途中でストックを活用するなどしながら佐屋に着き,何とか芭蕉の「くいな塚」と「三里之渡址碑」「代官所址」などを巡り,名鉄佐屋駅に向かう。16時30分頃の電車で弥富に向かい,JRに乗り換えてとにかく桑名に着く。スマホの万歩計で44000歩余,24.5Km となった。
宿に入る前に,まずはビールを飲まなければこれ以上動けないということで,軽く栄養補給をする。その後,旬の蛤を酒蒸しでいただいた。翌朝は桑名宿から四日市宿へ向かった。続きはまた今度。