土曜日に高山へ行ってきました。

高山の「プラスアイ」という保険代理店の15周年記念講演会ということでお伺いしました。「プラスアイ」の代表とは古い友人です。15年のお祝いを込めて「円満相続の秘訣」~介護と相続編~をお話ししました。60人定員の会議室に57人が入り、満員状態。すごい集客力です。高山ならではと思うのですが、御祝いの御酒が届いていました。一升瓶二本を結わいて、のし紙で包んである地鎮祭やお祭りの時によく見る、あれが置いてありました。流石です。あと
主催者から説明がありましたが、高山の人はシャイな人が多いので、講演の後に質問したり名刺交換に行くことはまずないとのこと。やはりその通りでした。近いのに多少文化が違うなあと感じました。IMG_6454

私の話しはこのくらいにして、会場を同じくする市民文化会館で映画の上映会が行われていました。日本最古の登山記録映画「雪の薬師、槍越え」という山岳映画です。(正確にお伝えしたいので、下記は紹介文そのまま)
作品紹介 雪の薬師、槍越え
1923-24(大正12-13)年、伊藤孝一隊撮影。2000(平成12)年、富山県[立山博物館]作品化。構成・編集:羽田栄治、ナレーシヨン:児玉清。資料原型:35mm、未縞集モノクローム・ネガフイルム、48分。
伊藤孝一は、大正12年11月から翌13年の4月にかけて3度の雪山行を企て、上ノ岳冬期初登頂、薬師岳厳冬期初登頂を果たし、越中から奥黒部領域を踏破して黒部五郎・三俣蓮華・鷲羽の頂を踏み、槍ケ岳に到達する(積雪期初縦走)。この山行の映画記録は未編集のまま信州有明の赤沼家に残置されたが、昭和40年に名古屋の報道カメラマン上田竹三によって見出される。フイルムには、雪の北アルプスを目指した男たちのパイオニアワーク、それを支えた山案内人たちの活躍、当時の服装や装備、やがて湖底に沈む僻村有峰の風景などが写し込まれ、日本近現代登山史に欠くべからざる資料となる。2000(平成12)年、資料調査に基づいて富山県[立山博物館]が作品化。

大正12年(1923年)ということは今から92年前、当然サイレント映画。当時の山行の装備は興味深いですが、今と基本は同じですね。テントは二種類あって、三角の家形と、円錐形のティピィー型でした。今ではなかなか見ることのない布製テントです。当然ザックはキスリング。カラーではないので分かりませんが、恐らく柿渋がしっかり塗り込まれたものでしょう。アイゼンは今のものと似ています。ピッケルは最後の方にちょっと出てきましたが、写真のように柄の長いものを使用していました。でも前半はスキーのストックを背丈程度に長くし、太くしたのを一本持っているだけ。ここは今とかなり違いますね。それでも一人のけが人も出していない。山行にはフランス製のパルボ35mmカメラ2台を駆使。(今の値段で3億円とか)なぜか手回しのカタカタという音は聞くことができた。

名古屋出身の伊藤孝一は、当時の豪商大富豪とのこと。もう一本の「伊藤家・百瀬家、子供たちの黒部・五色行」(1932年)という、家族そろって夏のハイキングみたいなという映像がありましたが、なんと伊藤孝一は着物姿に下駄ばきという出で立ちでした。どれもこれも珍しいことばっかりで、面白かった。