週末に,父親の五十回忌法要を行いました。

五十回忌はおめでたいということで,地方によっては「御仏前」ではなく,紅白の「御祝」を持っていくこともあるそうです。我が家でも,お赤飯や紅白のお餅を引き出物に入れることになりました。また「弔いあげ」とも言うそうで,数年おきに行なってきた法要は,これで一旦終了。ということだそうです。
0歳から84歳までの縁者18人が集まりました。記憶があるかどうかは別にして,故人が知っている人はそのうち6人だけでした。50年という月日を感じますね。
今回は,住職もやる気満々で「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」で有名な「白骨の御文」(注)も 今回は意訳付きの小冊子が配られました。
いつかは必ず死が訪れることを知って,一日ずつを積み重ねるか,避けて空過な一日を送るのか。「死」を考えることは,そのまま「生」を考えること。
五十回忌法要を営むということは,今の時代,かなり稀有なことらしく,いつも気楽な住職も「力」の入った法話をされました。

「白骨の御文」 ウィキペディア