東日本大震災から4年がたちました。被災された皆様のご冥福をお祈りし,なおも震災の傷に悩まされている皆様にお見舞いを申し上げます。私の住む愛知県津島市も昭和34年の伊勢湾台風で大きな被害を受けています。2か月たっても水が引かず,不衛生な環境での生活を余儀なくされ,多くの先人が苦労されました。先日,ある人があの時に全国の人や自衛隊,海外の皆さんにお世話になったことを忘れてはいけない。伊勢湾台風で助けてもらった恩を返す時ではないかというお話しをされました。
相続争いは簡単に言うと「お金にまつわる兄弟けんか」ということになります。相続で大けんかをして絶縁状態になってはいけません。少しでも一本でも縁を結んでおかなければなりません。一つの例ですが,もし災害に遭ったら,まず最初に無償で手を差し伸べてくれるのが家族,親戚,兄弟ではないでしょうか。その縁を切ってはいけないと思います。
昭和34年当時の津島市長,竹内節雄さんが伊勢湾台風の後に国会の参考人として2回上京しています。すごい迫力で伊勢湾台風後の惨状を訴えた演説を読む機会に恵まれました。長時間に及ぶ訴えは,あらかじめ作られた原稿ではなく昨日市役所から見送られた時のこと,夜行列車での出来事などを交えながらの支離滅裂ともいえる内容ですが,訴えかけるものがあります。文章からその場の空気が伝わってくるような感じがします。途中で「いつまでも私達を泥水の中へ放置するなら,市民とともにアメリカかロシアへ集団移住する。」という発言さえもしています。
時期は分かりませんが,また大きな災害が来ます。災害を受けながらも皆で協力して復興してまた繁栄させる。また災害がやってくる。そんな繰り返しなのでしょうか。残念なことに伊勢湾台風後の復興・繁栄の時期に地下水をたくさん汲み上げ,最大1.6M沈下しています。取り返しのつかない失敗ですね。0メートル地帯というのは,海抜0メートルのところを言うのではなく,0メートル以下全部を指します。自分の家が海抜何メートルなのか正確な情報は自分で調べなければなりません。干潮満潮の差は最大2.6Mあります。ここで災害を引き受ける覚悟をするか,移住すべきなのでしょうか?災害を引き受けるのもいいですが命あってのこと。悩ましい問題です。