私には,いまだにお付き合いのある高校の時の担任の先生と,大学の時のゼミの先生があります。普通のことかと思っていたら,ちょっと稀有なことみたいです。理由は分かりませんが,私が優秀な生徒や学生ではなかったことだけは,はっきりしています。
大学時代に私の属したゼミは,一学年に3人しかゼミ生がいませんでした。それはゼミ生募集の注意書きに,一週間に1冊以上本を読まなければ学生じゃない。みたいなことが書いてあって普通の学生は敬遠しました。若かった私は,つい挑戦してやろうという気持ちで入ったものの,先生のペースについていけず,苦労していました。
ゼミを無断欠席すると,先生から自宅にイエローカードみたいな電報が来ました。学生は学ぶために生きているんだという先生のお話しに,いや生き方を学ぶんだという反論をしていましたが,無断欠席はつじつまが合いませんね。今思うとお恥ずかしい限りです。
ゼミ旅行でスキーに行ったのに,課題図書が決められて,この本をテーマに2日目朝一番に議論するから準備しておくように。というような感じで,議論が多かったような気がします。『感情に流されず,冷静に真理を探せ。』その真理を掴む思考方法を身につけよ。今思うと,そういうことだったような思いますが,15歳も年下の,頭の悪い学生には意味が分からず,何十年も経ってから有り難い指導だったと感謝しています。その後,先生はアメリカで活躍され,帰国後大きな大学の教授・名誉教授を務めた後,他の大学の学長もされました。学長ってすごいと思っていたら,研究を放棄したことの証なので,肩書は教授の方が良い。みたいなことを今でも仰っています。
もう一人,高校3年の担任の先生は8歳年上の英語の先生でしたので,先生というよりは先輩という感じです。もともと偉そうなことを言わない先生で,ボランティア活動や新しいこと好きの,発想が柔軟な先生でした。なぜかその頃,先生は廃寺みたいなお寺に新婚夫婦で住んでいて,皆で夏休みに一泊二日恐怖体験みたいなことをやったことがありました。今思うと,よくも廃寺の本堂で寝たなあと思います。
高校を卒業した年のある日,カナダから来ているホームステイの学生がいるので一日遊んでやって。というご指示。先生は私が英語をろくに喋れないことは知っていたのですが,同年齢くらいの可愛い女の子だし,まあいいからやっといて。今思えば,外国人を身近に感じる有り難い経験になりました。先生は,東大に何人も合格させるという,このあたりでは有名進学校の校長をされてから,某大学の仕事をしたり,教育委員会や民生委員などボランティア活動を忙しそうにしてみえます。
かねてから,この二人の先生に共通しているのは何だろうと考えていたのですが,生徒や学生に対して,立場ではなく人間として付き合っていただいたと言うことでしょうか。これもありがたい勉強です。そして二人ともまだまだお元気ですので,益々のご活躍を祈念いたします。