歌川広重『東海道五十三次・桑名』

桑名は食べるものが美味い。特に魚貝類が美味いことがよく分かった前夜だった。昔なら二日酔いを恐れず飲んでいたが、さすがに還暦ジジイは僅かに知恵がついたというか、弱くなった。6時30分からの朝食をささっといただき,7時20分に出発。街道上ではないが,宿から七里の渡し跡までの間に,宝暦治水で命を落とした薩摩義士ゆかりの海蔵寺がある。普通のお寺とは違う張り詰めた空気を感じる。すぐに七里の渡し跡に着き,さらに東海道第二の宿場である桑名宿を歩く。ちなみに第一位は宮なので,七里の渡しのあっち側とこっち側ということになる。天候や海の状態で足止めとなることもあるだろうし,旅籠も多いので目標になったのではないか。

佐屋街道と違うのは,市民の街道への想いの差ではないかと感じた。当時の古い道標と共に近年作られた案内が,痒いところに手が届くように設置され,簡潔な解説が施されている。聞くところによると街道歩きをする観光客も多いようだ。さすがです。柿安や歌行燈など,名古屋あたりでもよく耳にする老舗料理屋の本店も桑名にある。街道だけではなく,桑名の街全体をゆっくりと歩くというのも面白いだろう。

その後,町屋川を越えて朝日町に入る。古くて大きなお寺が多く、見ごたえがある。禅宗や真言宗は少なく,浄土真宗系がよく目立った。そして最近話題の東芝三重工場の前を通り、しばらく行くと,浄泉坊という徳川の葵御紋を掲げた立派なお寺が目を引く。まだ10時前なのにもう足が痛くなってきた。やはり昨日の疲れが影響している。茶屋を探すも残念ながら、なかなか見つからない。

歌川広重『東海道五十三次・四日市』

このあたりまで来て,昨日からの度々の発見から確信に変わったことがある。それは「畳や」さんの存在である。宿場や街道添いに畳やが生きているのである。名古屋市内から気になるなあと思っていたが,やはりどの町にも残っている。恐らくお父さんが一人でやっているような規模だが,かなりの数が生きている。同行の先輩から,スーパーやホームセンターで売ってない物は生き残っているという解説を受けた。なるほど畳は売ってないと思う。意外な発見だった。

いつまでたっても茶屋が無いうちに四日市市に入る。朝明川を越えたところに道標があったので寄ってみたら,ありがたいことに四日市市内の旧東海道ガイドブックが無料配布されていた。10ページほどの冊子だが,まさに私たちの欲しい情報が昔の地図と今の地図の比較をしながら掲載されている。それも新しい。四日市やるなあ。

茂福町という町に来た。もふく?しげふく?「もちぶく」が正しいらしい。地名は面白いが難しい。そして「←東海道→」という小さな看板が民家の塀などにぶら下がっていることに気が付く。そして家々の玄関辺りに植木鉢をひっくり返したような黒っぽい物体に,ひらがなで「とうかいどう」という文字が切り抜かれていることに気が付く。そしてこれは萬古焼で,この陶器の中には電球が仕込まれていることも分かった。さすが四日市やるなあ!

国道1号線と重なるあたりで讃岐うどんをいただき、ゆっくりとお昼休憩する。この時点で足痛を考慮し、今日のゴール地点を四日市宿とすることとした。つまりリタイヤを決めたということ。出来たら伊勢街道との分岐点の日永の追分までと考えていたが、まあ遊びですので無理をしても仕方ない。三ツ谷の一里塚と海蔵川を越え、足底が痛いまま諏訪神社に到着。この日のゴールとなった。早速麦酒系栄養補給の店を探して給油。スマホの万歩計で24500歩,15.5Kmとなった。

次回は四日市から再スタートですが、次回までにウォーキングシューズが必要です。ランニングシューズでのウォーキングは10キロまでが限界ですね。