『杉原千畝 スギハラチウネ』(チェリン・グラック監督)を見ました。ご本人が東海地方(岐阜県八百津町)の出身ということで、何となく一方的に誇りと親しみを感じていましたので、この映画は楽しみにしていました。東海地方では杉原さんの認知度は高く、私のように多くの人が一方的に誇りと親しみを持っていると思います。
東海地方での認知度の話は、CBCの竹地祐治さんの功績が大きいと思います。CBCラジオのアナウンサーだった竹地さんが、杉原さんにまつわるお話をラジオの番組でたくさんお話しされました。(杉原さんは竹地さんの大叔父)1998年に発行された『「千畝」一万人の命を救った外交官 杉原千畝の謎』(ヒレル・レビン著)の資料提供協力者に、竹地さんのお名前も出ています。
映画では、ビザ発行を迷う時の様子が印象的でした。「本省の指示通り、ビザを発行しなくても彼らはユダヤ人だ。他の国から批判される事はない。」という意見もあるなか、ビザ発行の判断をしました。「外交官としてではなく、人間として当然の正しい決断をした」というこの決断は、結局自分の外交官としての立場を捨て、多くの人の命を救うことになりました。杉原さんのこういう発想や決断の根底に流れるのは、日露協会学校(ハルピン学院)にあるようです。
日露戦争の終結後、日本・ロシアを繋ぐ人材の育成を目指して、ロシアと中国の国境にほど近いハルピンに設立された外務省所管の旧制専門学校(のちに大学)がハルピン学院です。校訓「自治三訣」(人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう)に杉原さんの姿が象徴されています。映画の中でも何回も引用されました。
ご存知かもしれませんが、後藤新平氏(元東京市長・元満州鉄道総裁・日本ボーイスカウト連盟初代総長)がこのハルピン学院の総裁でした。「自治三訣」は後藤らしい発想であると思います。そして後藤が倒れる日に残した言葉は「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ。」明治時代の偉人の太さを感じますね。今年中に杉原千畝記念館を訪問しよう。